前橋地方裁判所高崎支部 昭和41年(わ)118号 判決 1966年10月14日
被告人 荒木英二
主文
被告人を懲役一〇月に処する。
但し、本裁判確定の日から三年間、右刑の執行を猶予する。
本件公訴事実のうち柳川八洲雄に対する傷害致死の訴因については、被告人は無罪。
理由
第一罪となるべき事実
被告人は、水資源開発公団の下久保ダム建設工事現場において、間組配下高野班の土工として信号係の仕事に従事していたものであるが、昭和四一年五月三日午后一〇時四五分頃、群馬県多野郡鬼石町大字保美濃山一、一一八番地所在の同班第三世帯寮の同班工長(世話役)石岡国臣(当二六年、被告人と同郷かつ、被告人が日々の食事の世話までして貰つていた)方居室に、同僚等数名と集まつて飲酒雑談中、同組深沢班の大工柳川八洲雄(当時三六年)と同末永倫造(当時二八年)の両名が、何ら見るべき理由があつたわけでないのに酒に酔つたうえ、柳川は刃渡り二五糎位の短刀を、末永は八五糎位の柄のついた鳶口を持つて同室内に突如乱入し、交々にこれを板戸に突き刺したり或いは板戸を引き破るなどの暴行を加えて来た外「出て来い。勝負だ」などとわめき立てて、前記石岡並びに被告人等に危害を加えるべく脅迫したことに驚愕狼狽し、一同立ち上り一旦は右板戸などを利用して、右末永等を室外に押し出したが、右末永がなおも鳶口を振り廻していたことに腹を立て、前記第三寮の二階廊下桟橋附近において、同人と乱闘となつた際、右石岡方居室入口附近の下駄箱に立てかけてあつた全長七三糎、刃渡り三六糎位の鋸を右手に持つて右末永に立ち向い、同人の頭部、肩部等を数回にわたつて切りつけ、よつて同人に対し相当日数の治療を要する前額部、両側肩胛部切創の傷害を負わせたものである。
第二証拠の標目<省略>
第三弁護人の主張に対する判断
弁護人は、被告人の前示所為は、刑法第三六条若しくは盗犯等の防止及び処分に関する法律第一条第一項、第二項の場合に該当し、犯罪の成立を阻却するものであると主張する。しかし当裁判所は、後記認定のとおり、被告人の柳川八洲雄に対する傷害致死の所為についてはこれを採用するにやぶさかでないが、被告人の末永倫造に対する所為についてはこれを採用することができない。即ち、前掲証拠によれば、被告人が前記石岡方室内にあつた鋸を手に持つた時点においては、被害者末永は、石岡等数名のものによつて、室外に押し出されたばかりか、同室から約七、八米離れた第三寮と道路をつなぐ桟橋の中央附近まで後退を余儀なくされており、ただ依然として鳶口をふり廻し怒声をあげてはいたが、石岡、坂上等数名の者から空びんを投げつけられるなどの攻撃を受け、自らを防ぐに必死となつていた状態にあつたものと認められ、なお柳川、末永等の乱入時からは或る程度の時間を経過してもいたのであるから、当初の狼狽、こうふんもさめてよい時点にあつたにもかかわらず、石岡の居室内に唯一人残された被告人が、あえて凶器ともなり得る鋸を取りあげて手に持ち、石岡、坂上浩等のところへ駈けつけたうえ、積極的に前面に出て、末永に対し数回にわたり切りつけ、前示のとおりの傷を負わせていることが認められるのであるから、被告人に防衛の意思があり、その防衛のための止むことを得ざる行為であつたということは困難であり、むしろ、積極的の攻撃行為とみられるのであつて、通常のけんか闘争に発展したものといわざるを得ない。
第四法令の適用
被告人の判示傷害の所為は、刑法第二〇四条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に該当するところ、右は所定刑中有期懲役刑を選択するのを相当とするから、これを選択しその刑期範囲内において被告人を懲役一〇月に処し、なお、本件は被害者側の挑発によるものが大であつたうえ、被告人は前途有為の青年であることなど諸般の情状を考慮し、刑法第二五条第一項第一号により、本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予することとする。
第五無罪と認定した公訴事実の要旨
被告人は、昭和四一年五月三日午后一〇時四五分頃、前掲石岡国臣方において同人ほか数名と飲酒中、間組深沢班の大工柳川八洲雄と同末永倫造の両名が、酔余、右石岡方居室に暴れ込んで来たことに憤慨し、右石岡方居室台所において、刃渡り一六糎の出刃庖丁を右手に持つて、右柳川の左腹部を一回強突し、よつて、同人に対し、腹腔内に達する左下肋部刺創を負わせ、同月四日午前七時頃、藤岡市篠塚五六二番地所在の飯田病院において死亡するに至らしめたものである。(傷害致死 刑法第二〇五条第一項)
第六無罪と認定した理由
一、被告人の柳川八洲雄に対する前記傷害致死の公訴事実は、前掲各証拠並びに井関医師作成の鑑定書及び押収にかかる庖丁一丁(昭和四一年押第三七号の五)によつて認め得るところである。
二、しかしながら、被告人の右所為は、盗犯等の防止及び処分に関する法律第一条第一項第二号、第三号、第二項に該当し、犯罪の成立を阻却するものと解されるのである。
(1) 右各証拠を総合すると次の事実が認められる。
即ち被告人は、同日午后八時頃から、前記石岡の居室において、同人及び石神、坂上(浩)、荒木(隆)等七名位の者と、酒盛を始め、テレビを見たり雑談に時をすごしていたところ、午后九時三〇分頃、深沢班の元世話役であつた柳川八洲雄が、同室を訪れて来たのであるが、同人は、平素から酒癖が良くなくすでに相当に酔つており、同席していた石神久則(当二五年にして高野班の書記)に対し、いんねんをつけたり、その場に寝てしまつたりしたので、石岡の命により被告人と坂上浩の両人が柳川を同人の止宿していた第四寮に帰宅させるべく、途中まで送り出した。ところが、それから間もない午后一〇時四五分頃にいたるや、突然に、「勝負だ」などという怒号が石岡の居室入口附近に聞えた(同人方は木造二階建の第三世帯寮二階東端の幅三・三五米、奥行六・一米位の部屋で、南北の二室に別れ、北側が玄関兼台所の板の間の部屋となり、南側が右六畳の座敷で、中央部に二枚のベニヤ製の板戸があつて両室を仕切つている)。そこで、テレビを見ていた石岡が立ち上つて、板戸を少し開けて見ると柳川がすでに板の間に入つており、刃渡り二五糎位の短刀一振(末永がヤスリを材料として作りあげたもの)を腰のあたりにみがまえ、石岡めがけて突き出して来たので、同人はあわてて体をかわし、板戸をしめたところ、続いて板戸に短刀を突きさして来た。これとともに、柳川に従つて来た末永も、板の間に乱入していて柳川のしつたするのに同調し、携帯して来た柄の長さ八五糎位の工事用鳶口を振り廻して板戸にぶちつけて破壊し、板戸を引きはがすにいたつた。この乱暴に室内にいた人々は驚いて一斉に立ちあがり、その場にあつた酒の空びんを投げつけたり或いは横に倒された板戸を持ちあげて楯にして、柳川、末永を押しつけながら、一団となつて、北側の唯一の出入口に向つて殺到した(出入口は幅一米七五糎、奥行七二糎位の靴脱ぎ場の外側にあり、幅九〇糎位のガラス引戸二枚があり、廊下から桟橋を経て屋外の道路に通じている。隣室との境は板壁となつており、東と南の二ケ所の窓は地表から四米前後の高さにあるため、北側の出入口以外に脱出口はない)。この騒ぎにテレビは倒され、またこの間に階下世帯寮に住む世話役の坂上亨(当二七年)がかけつけ、柳川等に向け「やめろ、やめろ」「俺を知つてるだろう」などと申し向け制止せんとしたのに、柳川は「なにを」と言いさま右亨に向つて短刀を向け身がまえるの狂態もあつて、同人は驚きあわてて奥に逃げ込むのやむない始末となつた外坂上浩、石岡等は末永と乱闘となり、被告人と石神は出入口の内側附近において、短刀を振り廻していた柳川と相対向するにいたつた。そして柳川は引き続き被告人等に向つて短刀をふりまわしていたが、同人が頭上に短刀をふりあげて来たのを見た石神が、とつさにその手首をとりおさえた。その折ごろに被告人は前記靴脱ぎ場の東側に続いた流し台(その折頃は被告人の眼下に位置していた)の上のまないたの上に置いてあつた庖丁(被告人が坂上亨方からパインナップルとこれを食するために持参して来て、たまたま置いてあつたもの)を取りあげて、そのまま柳川の上半身を一回強く突き刺した。柳川は、庖丁を左腹部に突き刺されたまま、ぐずれるように室外に去つた(その後、被告人は前記認定のとおり、同室外に出てから末永を傷害するにいたつたものである)。
(2) ところで、盗犯等の防止及び処分に関する法律第一条第一項、第二項の適用を受けるためには、殺傷行為が防衛行為として相当のものでなければならず、程度を超えた場合であつても行為者が恐怖、驚愕、興奮又は狼狽により、相手を殺傷するに至つたことについて宥恕すべき事情の存することが必要とされるのである。
これを本件について考えるに、被害者等は各々凶器を携帯して、他人の居室内に乱入し、被告人等の生命、身体に対し危害を加えるべく暴行し、脅迫して来たことは明らかである。しかも、その程度は、検察官主張のように「単純な酔余のいやがらせ」とは観られず、別件末永に対する暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件(当庁、昭和四一年(わ)第一一九号事件)において、有罪として認定したごとく、柳川、末永の行為は被告人等の生命身体に凶器をもちいて、危害を加え損傷を与うべく行動していたものである(このことは、証人石神久則の部分的判断や主観的判断をもつて左右しうるものではない)。また、被害者等の行動は、被告人等に予知できなかつたことで、全くの不意打であつたうえ、被告人等に特段の挑発行為や帰責事由があつたわけでもない。深夜、住居者の平和と安全を害して、優に人の生命を絶つことのできる短刀や鳶口などの凶器を持つて乱入した被害者等の行動は、厳しく責めらるべきものであつて、これが防衛やその侵害排除の行動は、相当度に強力なものであつても社会良識上是認されなければならないところと考える。しかるに、被告人は、当初は素手で、或いは板戸の後ろから身を守つていたところ、たまたま、出入口附近において相対立した時、かたわらにあつた庖丁に気づき、突さにこれを取りあげて行動に出たにすぎなかつた情況が認められるのであつて、もともと携帯して、或いは準備してあつた凶器を使用したものでもない。なおその反撃もわずか一回にとどまつており、しつように、数回にわたつて攻撃をくりかえしたものでもない。ただ、それが身体の重要部分である腹部に、柄の深さに達するほど深く刺しとおした点について、やゝ防衛の程度を超えたという批判の余地があるが、被告人のおかれた環境や前掲記のような緊迫した瞬間の現況と立場を考え合せるとき、検察官主張のように他に何等かの方法があつたとしても、社会一般通常人にこれ以上のことを要求することは困難であり、期待可能性を欠くものと観るのを相当とし(この場合、その要件を厳しくすることは正当防衛の成立、本条各号の成立の余地を殆んど無に帰してしまうであろう)、右被告人の本件所為は宥恕すべき情況下の行為であつたといわざるを得ないのである。
しかして、また本件各所為については、防衛の意思を必要とするものと解されるが、その意思は、被告人の供述調書記載の形式文言にとらわれることなく、その行動態様と諸般の事情からこれを認定すべきものであるところ、前記各認定事実にもとづけば、被告人に防衛意思の存在を否定し去ることはできず、その存在を窺うに十分である。被害者柳川が突きかかつて来たのを体をかわして被告人が刺し返したものであるか否かは必ずしも証拠上明確ではないが、同室内における柳川、末永等の行動は全体として観察するとき、被告人のみならず同室の者たちの生命、身体に対する侵害の危険性が高度の状態にあつたことは明らかであるから、右の行動態容の如何は本件の判断を左右するほどのものでもない。また、刺傷行為の直前に石神が柳川の手首を押えあげたことが認められるのであるが、同人の供述によれば、完全に柳川の行動を抑圧し、反撃に出る余地のないほどに取り押えたものではなく、短刀を持つた手首を瞬間的につかまえたにすぎなく、その直後にはふりはなされている程度であるから、この点からしても亦、本件を積極的な加害行為とはいえず、防衛意思を否定する論拠ともなし得ない。更に、被告人の意識のなかには、柳川に対する憤激とにくしみがわいていたことも認め得るのであるが、これ等は防衛の意思と相対立し、併存し得ないものではなく、人間の意思構造はしかく単純なものでもない。複雑な重畳的なものであるから、主たる意識において、防衛目的があり、かつ客観的に是認し得るものであれば足りるものと解する。
三、結局において、被告人の行動は、柳川の急迫、不正な侵害に対し、これを排除し、自己若しくは石岡等同僚の生命、身体を守るべく、突さに目についた庖丁を持ち、かつその瞬間は前後を深慮するの暇のなかつたまま柳川を刺傷し、その結果同人を死亡するにいたらしめたものと観るのを相当とし、即ち凶器を持つて室内に乱入した同人に対し、狼狽、こうふんのあまり、やゝ程度を超えて行動したといことに帰し、盗犯等の防止及び処分に関する法律第一条第一項第二号、第三号、第二項により責任を阻却し、犯罪の成立が阻却されるにいたるものと解する。よつて、この点に関する訴因は、刑事訴訟法第三三六条前段により罪とならない場合にあたるから、無罪の言渡をなすべきものである。
以上により、主文のとおり判決する。
(裁判官 荻原竹儀 松田正己 大塚喜一)